2012年9月23日日曜日

昔の地図って意外と入手困難!

最近、昔住んでいた、東京都下へ行った。約25年ぶりになるだろうか。あたりはだいぶ変わっていて、たとえば、病院だったところが、立派なマンションになってたりした。

そうした中、昔、西国分寺駅の近くに存在していた、鉄道学園思い出した。当時は地図を見ると当たり前のように、構内の楕円形の線路が載せられていた。

帰宅して地図を見ると、そうしたものは見付からず、広い公園になっていた。早速、当時の地図を見たいと思ってググって見たのだが、これがなかなか見つからない。航空写真は見付かるのだが、見たい写真がなかなかアクセスできないのだ。

そうしたわけで、今日は、神保町の近くにある大きな本屋へ行った。ところが、ここにも見付からない。江戸時代の都心の地図はいくらでもあるのだが。結局「昭和30年代東京散歩」という本を買って帰ってきた。当時は都電全盛の時代。まさに今昔の感がある。

ここで、なぜ、都心以外の地図が入手できないか考えてみた。たどり着いた仮説は次の通りである。

・郊外は、昔、住宅地にふさわしくない場所であったところが多々ある。たとえば、池、沼や工場など。その不動産の売買にかかわった者にしてみれば、これは明らかにしてほしくない情報
・地図の対象になる都心は元来住宅地もしくはそれに類する場所であったため、基本的に大きな変化はない。オープンになっても、誰も困らない

不動産を購入する時、昔、そこが 何であったかは必ず調べるべし、地元の図書館に行けばわかる・・・というようなことが不動産購入の入門書に書いてあったが、なぜ、地元の図書館までいかねばならないのか、ここがよくわからない。おそらく、昔の地図を今日の大衆の眼にさらしたくない、輩がいるのであろう。

誰でも取得できていた情報を隠すという試みは、このネット社会において難しいと思うのだが。ここは公的機関、出版会社等にはよく検討して欲しい。ロングテール戦略をもってすれば、出版部数の問題は、電子書籍形式で売れば、大して問題なかろうと思う。

手に簡単に入りそうで、意外と難しい昔の地図。なかなか興味深い代物である。

2012年7月8日日曜日

さぼり癖

3月にiphoneを購入してから、PCでじっくり・・ということがめっきり減った。twitterでは年がら年中ピーチクパーチクやっているのだが、ブログとなると、やはり敷居が高い感じがする。が、さぼっていることには変わりはない。

アップデートができていない中、過去のアクセスを見ると、それでも昔の投稿を読んでくださっている方がいる。一番人気は、豊川高校の宮田選手に言及した昨年暮れのものだ。

彼女のスター性にはあらためて確信をもった。彼女を見ていると、SMAPの「Dear WOMAN」を連想する。私の大好きな曲だ。地元も良いのだろうが、やはり、高校卒業後は、彼女には資生堂チームに入ってもらい、海外への宣伝塔になってほしいと思う今日この頃である。

彼女自身も小欄を見てくれているかな?シーズンに向けて、この夏のトレーニング頑張ってね。応援してまーす。

2012年4月28日土曜日

北軽井沢でまったり

今日の深夜に北軽井沢に入った。毎年GWには来るが、この時期は正直、雪が溶けたばかりで、新緑にはまだ早いといったところで、あまり面白くない。しかし、今日みたいな快晴で、気持ちの良い風にあたっていると、本当に心地良いものだ。今、まったりしながら、久々にブログに投稿しているところ。

先ほど、近所のお気に入りの、絹糸の湯でひとっ風呂浴びて、照月湖まで散策に出た。

1枚目の写真は、絹糸の湯からの帰りに撮った、浅間山の雄姿。富士山を父とすれば、浅間山は母といったところかな。見守ってくれている感じがして大好きだ。2枚目はいつもの照月湖&浅間山。

2012年3月20日火曜日

三浦半島油壺へ

震災から1年。このブログを初めてから1年。時が経つのは早いものだ。

今日は、久しぶりに休日に晴れたので、三浦半島へ足を延ばした。

目的地は油壺マリンパーク。京急運営のあの施設だ。WIKIPEDIAによれば開館は1968年とある。自分が初めてあそこに行ったのは、横須賀市内の某小学校3年生の時の遠足だったかな。その後、家族でも一回行った記憶がある。あのときは活況を呈していた記憶があるが、今日、約30年ぶりに行ってみると(年がばれますね・・)、施設は老朽化、全体的にイケていない感じで、人もそこそこいたが、混んでいるというわけでもなく、入園して30分ほどで出てきた。

その代りに、周囲を散策。こちらのほうがおもしろかった。あのあたりの海は大変、綺麗。

リゾートマンションも見かけたが、なかなかいい感じの立地で、週末のセカンドハウスにはいいと思った。いつか、ヨットかボートでも持つ身分になったら、あの辺に別宅を持ちたいな、などと思いながら、現地を後にした。

油壺といえば、一時は京急が路線を延ばすとされていたところだが、結局、そうならなかった。が、おかげで、自然が残され、結果的にはよかったと思う。

遊歩道で、たまたま、新井城址の立て札と油壺の名前の由来を説明した立て札を見つけた。かねがね、海になぜ、油という地名がついているのか疑問であったが、こういうことらしい。実に神秘的ではないか!


【1516年新井城に籠もった三浦一族は北条早雲の大軍を相手に3年間にわたって奮戦するも、三浦道寸義同を始め将兵は討死に、残る者は油壺湾へ投身し、湾一面が血汐で染まりまるで油を流したような状態になったので後世「油壺」と言われるようになったとされる。まとた、湾内の水面が油を流したように静かだからという説もある。


ところで、自分と同じ考え方を持った人は多いようで、三浦市内、行きも帰りも道は混んでいた。

2012年2月14日火曜日

2012年2月3日金曜日

長生きは条件付き (続)

昨年11月に、南雲吉則「50歳を超えても30代に見える生き方」 を発注したと書いたが、その直後、楽しく同書を読み、いくつか実践していることがある。

・できるだけ、成長ホルモンの分泌されるゴールデンタイムに寝る
・ミカンを皮ごと食べる
・電車では座らないようにする
・・・・等々

しかし、なかなか実践できないことが。それは腹六分目だ。これは難しい。あと、酒の量を減らすために高価な、たとえば、ボルドーのグランクリュクラッセを飲むことも、かな。自分の場合、高価な酒もうまいうまいと言ってついつい飲みすぎてしまい、翌日後悔の連続だ。

そういえば、今週の日経夕刊で同書が紹介されていた。初版7千部と少なめだったが、すぐに伸び、1月下旬までに8刷17万部に達した、とのことだ。また、先日、丸善にいたら、南雲先生の本が、何種類も売られていた。我ながら、自分の先見力に酔ってしまった次第(笑)である。

2012年1月26日木曜日

いよいよ首都圏直下型地震リスク高まる?

最近気になることがある。

会社でやたらに、緊急時用グッズが配られることだ。先日は、携帯用トイレ、水、非常食が皆に配られた。

何故かな、311で目が覚めたせいかな、と思っていたところで、先日の東大地震研究所がマグニチュード7級の首都直下型地震が4年以内に約70%の確率で発生するという試算結果の報道だ。

これについての政府のコメントもない模様。

なぜか怪しい。気味が悪い。権力者だけが知っていて、一般大衆が知らされていないことがあるような気がしてならない。