2012年3月20日火曜日

三浦半島油壺へ

震災から1年。このブログを初めてから1年。時が経つのは早いものだ。

今日は、久しぶりに休日に晴れたので、三浦半島へ足を延ばした。

目的地は油壺マリンパーク。京急運営のあの施設だ。WIKIPEDIAによれば開館は1968年とある。自分が初めてあそこに行ったのは、横須賀市内の某小学校3年生の時の遠足だったかな。その後、家族でも一回行った記憶がある。あのときは活況を呈していた記憶があるが、今日、約30年ぶりに行ってみると(年がばれますね・・)、施設は老朽化、全体的にイケていない感じで、人もそこそこいたが、混んでいるというわけでもなく、入園して30分ほどで出てきた。

その代りに、周囲を散策。こちらのほうがおもしろかった。あのあたりの海は大変、綺麗。

リゾートマンションも見かけたが、なかなかいい感じの立地で、週末のセカンドハウスにはいいと思った。いつか、ヨットかボートでも持つ身分になったら、あの辺に別宅を持ちたいな、などと思いながら、現地を後にした。

油壺といえば、一時は京急が路線を延ばすとされていたところだが、結局、そうならなかった。が、おかげで、自然が残され、結果的にはよかったと思う。

遊歩道で、たまたま、新井城址の立て札と油壺の名前の由来を説明した立て札を見つけた。かねがね、海になぜ、油という地名がついているのか疑問であったが、こういうことらしい。実に神秘的ではないか!


【1516年新井城に籠もった三浦一族は北条早雲の大軍を相手に3年間にわたって奮戦するも、三浦道寸義同を始め将兵は討死に、残る者は油壺湾へ投身し、湾一面が血汐で染まりまるで油を流したような状態になったので後世「油壺」と言われるようになったとされる。まとた、湾内の水面が油を流したように静かだからという説もある。


ところで、自分と同じ考え方を持った人は多いようで、三浦市内、行きも帰りも道は混んでいた。