2011年3月31日木曜日

風邪をひいた・・・みたい

朝から頭痛がして、体調が悪い。風邪をひいた感じで早く帰宅してきた。

今日は日中、東京都心では少し雨が降ったが、ちょうど乗っていたタクシーの運転手さんが「放射能の雨をかぶると禿げると聞きましたが本当ですかね?」と言っていた。今後、帽子が、意外に、はやるかもしれない。

こう言いっぱなしで、何もしないでいると、いつもこの言葉を思い出す。

Of all the words of tongue or pen, the saddest are these....it might have been.
(口にしたり文字にしたりするすべての言葉の中で最も悲しいのは、これ。「だったかもしれない」)

by John Greenleaf Whitter
米国詩人で、ニューイングランド地方に関する郷愁でよく知られる(1807−1892

2011年3月30日水曜日

なぜか最近イライラ

原発問題が依然として不透明な中、最近かなりイライラ度が増してきた。ここまでイライラするのは久しぶり。大好物のヨーグルト、納豆が食べられないことも影響してそうだ。

2011年3月29日火曜日

原発:迷宮入り

歴史的な大地震が起きてはや18日が過ぎた。被災地の復旧が急ピッチで進められ、交通大動脈も以前のようになってきたという報道も日経1面でなされた。

本来ならば、ここで一念奮起復興のために頑張ろう、と思うところだが、そうならない。原因は明らかに原発問題である。悲しいかな、迷宮入りが明確になってきた。東電も相変わらず当事者意識を持たない感じで、呆れていたが、今日は、それを国有化するかしないかで政府ともめている。今、そんなことしている場合じゃないのではないの?

日本人が安楽死に向かっているということを、金融界の重鎮が昨年言っていた。同じ世界にいる人間として、それを意味すること(=国債暴落とそれに続く国民からの富の略奪)はわかるが、せいぜいそれは経済・金融という限られた世界かと思っていた。ところが、昨日、今日の不毛な上記論争が起きていると、安楽死は世の中全体にも波及してきているのではないかと思い始めてきた。なんだか、鬱病になりそうな今日この頃である。

今日のことば by Johann Sciller
Only those who have the patince to do simple things perfectly will acquire the skill to do difficult things easily.(単純なことを完璧に行う辛抱強い人々だけが困難なことを難なく行う能力を獲得する)

シラー 【Johann Christoph Friedrich von Schiller】

(1759-1805) ドイツの詩人・劇作家。ゲーテとともに疾風怒濤期を経てカント哲学の影響下に美学を研究、古典主義に基づく歴史劇を確立。代表作「群盗」「たくらみと恋」「ドン=カルロス」「ワレンシュタイン」「オルレアンの少女」「ウィルヘルム=テル」、著「オランダ独立史」「素朴と情感の文学について」など。シルレル。
(1759-1805) ドイツの詩人・劇作家。ゲーテとともに疾風怒濤期を経てカント哲学の影響下に美学を研究、古典主義に基づく歴史劇を確立。代表作「群盗」「たくらみと恋」「ドン=カルロス」「ワレンシュタイン」「オルレアンの少女」「ウィルヘルム=テル」、著「オランダ独立史」「素朴と情感の文学について」など。シルレル。
 
[ 大辞林 提供: 三省堂 ]

2011年3月27日日曜日

パワースポットへ

家族がパワースポットへ行きたいということなので、自宅から皇居まで歩いていくことにした。

花粉は気になったが、天気も良く楽しく歩いて行けた。途中、自動販売機があるたびに、水の在庫を見たが、どこも売り切れだった。ただ、途中、3箇所ほど残っているところがあり、久しぶりに買って、飲んでみた。大宅映子氏はガソリンより高い水、と表現していたが、改めて「安全な」水のありがたさがわかった。因みに以前から、自分は水にはこだわりがあり、全国のおいしい水を取り寄せては飲んでいた。しかし、多少、家には在庫はあるものの、震災以降、水道水を飲んでいる。健康によくなさそうだと認識しているが、この災害はまだ継続中すなわち「ing状態」であるため、今よりも事態が悪化することを想定するとそうせざるを得ない。

途中、神楽坂に寄ったが、近くにあるフランス人居住区の人なのか、作業着を来た屈強な男たちがたくさんいた。何か訓練でもしているのか。よくわからないが、いつもの平穏な状況とはちと違う。

そして、いよいよ皇居へ。入り口ではいつも札を渡されていたが、今日は、渡されなかった。理由はわからないが、今回の震災と少しは関係があるのだと推測する。

内部はきれいな花がところどころ咲いていた。天守台にいったら、桜があったので近づいてみるとしっかりとつぼみをつけていた。満開時に来れば、心はもう少しは晴れるだろうか。


出口の大手門は工事中の箇所があった。何の工事かはわからないがところどころ剥がれたとがあり、ひょっとしたら、この補修で、これも震災の影響なのかな、と思いつつ、皇居を後にした。

2011年3月26日土曜日

店頭品薄 徐々に解消 !?

今日は仕事がOFFではあったので、朝から買い出しに出た。まず、ガソリンを池袋まで入れに行った。早い時間であったためか、多少の待ち時間を覚悟していったが、全くそういうこともなくスムーズに入れた。ただ、久しぶりにいれたハイオクがリッター164円であったのには少したまげたが。

そのあとは近所のスーパーに開店と同時に入った。お年寄りを中心に多くの人々が開店待ちの列に並んでいた。自分は、まずは、ティッシュとトイレットペーパーをゲット。いずれも一人一個の限定であったが無事に。束の間の安ど感。

そのあとは、昼時に近所のファミレスに行く途中、ドラッグストアを通りがかった。ちょうどその時は写真のように、豊富ではないものの商品が陳列されていた。

のちに夕方になって、ここを再度通りがかってみると、この棚のものは空っぽになっていた。ちなみに、この店を含めミネラルウオーターはどこにも売っていない。

確かに物不足は徐々には解消されてはいるが、まだまだ不安は残る。日経夕刊一面に下記記事あり。

今日の日経夕刊
店頭品薄 徐々に解消
物流正常化進む 一部なお供給追いつかず

 東日本大震災の発生から約2週間。一時は品切れが深刻化した大都市圏のスーパーなどの店頭に一部の生活必需品が戻っている。首都圏ではパンやトイレットペーパーなどの商品が手に入りやすい状態に。ガソリン・軽油供給の安定による物流の正常化に加え、消費者の買いだめが沈静化しつつあることが寄与している。…続き

2011年3月25日金曜日

久しぶりの飲み会

3/11以後、初めて飲み会に今日参加した。以前在籍していた会社の同僚たちとの飲み会で、彼らとは約半年ぶりだろうか。ただ、そのうち二名が今月末で退職とのことだ。やはりこの時期、転勤もさることながら、社外でのチャンスを追求する人たちとも出会う。Good luck!

やはり最近よく出る話題は、外人が東京からいなくなった、ということ。放射能汚染リスクを避けるために日本国外へいった方々もいるようであるが、それ以前に中国でのビジネス獲得のために、日本を見捨てた輩も相当いそうである。やり手の人材ほどその動きは早かった印象がある。

株式市場という観点からみると、外人投資家にとって、この国の最後のチャンスは、ちょうど小泉政権のころだったような気がする。そして、政権交代とともに、「やはり駄目かな」と思い始め、その思いを決定的にしたのは、あのブルドッグソース買収にからむ最高裁の決定だった。あれからもうすぐ4年。仮に原発問題、災害復興が達成できても、外人投資家を排除する動きが露骨であり続ける限り、本当に見捨てられた島国になり下がり続けることになることは間違いないであろう。この災害をうまく利用して、根本的な改革を政治には実行してほしいものだ。

ブルドック買収、防衛策、最高裁も容認――スティールの抗告棄却。

2007/8/8付 情報元
日本経済新聞 朝刊
 ブルドックソースの買収防衛策を巡る仮処分申請で、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は七日、防衛策差し止めを認めなかった東京高裁決定を支持、米投資ファンドのスティール・パートナーズの特別抗告と許可抗告を棄却する決定をした。スティールが濫用(らんよう)的買収者か否かは判断しなかった。最高裁が買収防衛策に対して判断を示したのは初めてで、企業の今後の指針となりそうだ。
 ブルドックは「株主の判断が正当だと最終的に認めていただいた」と評価。予定通り九日にスティール以外の株主から新株予約権を取得して新株を、スティールには現金を交付する。スティールの持ち株比率は約一〇%から約三%になる。
 他方、十日はスティールによるTOB(株式公開買い付け)の期限だが、TOB価格引き下げか撤回かの選択を迫られる。スティール側は七日夕時点で「決定内容を精査し、対応を検討したい」とコメントした。
 先月九日の東京高裁決定は、スティールを株主共同の利益を損なわせる濫用的買収者と認定したうえで、防衛策を認めた。だが最高裁は(1)買収者以外のほとんどの株主が防衛策の必要性を認めた(2)買収者が対価を受けられる――ことを適法性の根拠とし、濫用的買収者か否か判断しなかった。スティールは防衛策発動が「会社法の株主平等原則に反する」と主張したが、最高裁は、「株主共同の利益が害される場合、直ちに株主平等原則の趣旨に反しない」と退けた。
<ブルドック防衛策・最高裁決定骨子>
○濫用的買収者かどうかにかかわらず、今回の防衛策は法令に違反しない
○株主共同の利益が害されるかどうかは、株主自身の判断
○買収が始まった時点で防衛策を講ずることは許される

ミネラルウオーターが消えた

昨日の報道を受けて、店からはミネラルウオーターが消えた。今では、母子手帳がないと売ってくれない事態と聞く。

そうした中、昨日に続いて、下記の報道がなされた。

都、水道水の飲用自粛要請を解除 規制値下回る
放射性ヨウ素問題 2011/3/24 15:40日経

 東京都葛飾区の金町浄水場で乳児向けの暫定規制値を上回る放射性ヨウ素が検出された問題で、東京都は24日、同日午前6時に水を再調査したところ、値が規制値を下回ったと発表した。都は結果を受け、1歳未満の乳児向けの水道水の摂取制限を解除した。
東京都は24日朝の金町浄水場(東京・葛飾)の水質調査結果を発表した
東京都は24日朝の金町浄水場(東京・葛飾)の水質調査結果を発表した
 乳児向けの国の暫定規制値は水道水1キログラム当たり100ベクレルだが、24日は79ベクレルだった。22日は210ベクレルと高かったが、都は、21日の雨でまとまった量の放射性物質が河川から浄水場に入り、22日は一時的に高い値を示した可能性があるとみている。
 都の担当者は「今後数値が上がればまた要請を出す可能性があるが、今日から乳児の水道水利用を控える必要はない」としている。今後、雨が降ると再度数値が上がるかどうかは「データが少ないのでまだ分からない」としている。
 一方で規制値を上回るヨウ素を含んだ水が水道管にまだ残っているとみられるため、25日も飲料水550ミリリットル入りのペットボトル24万本を、乳児がいる家庭に配布する。都は「健康上問題ないが、心配する家庭のための措置」などとしている。

これを見て、受けた印象は「信用できないな」。ミネラルウオーター供給が追い付くまで、ごまかしておこう、という魂胆が透けて見えてくる。おそらくもう少し時間がたてば、「やっぱり水は危険だった」ということになるような気がする。

今日、名古屋への出張から帰ってきた同僚と話した。新幹線は下りは混雑、上りはすいている、とのことだ。やはり着々と民族大移動が起きているようだ。やはり、正直者は馬鹿を見るのか・・・・。神のみぞ知る・・・・・。

2011年3月24日木曜日

とうとうここまで来た:水道水から乳児の基準値を超える放射性ヨウ素が検出された

東京都が乳児1人3本分、24万本のペットボトル配布へ
産経新聞 3月23日(水)21時37分配信
 東京都の金町浄水場(葛飾区)で、水道水から乳児の基準値を超える放射性ヨウ素が検出された問題で、都は24日から金町浄水場の給水範囲となる東京23区、武蔵野市、町田市、多摩市、稲城市、三鷹市で乳児(約8万人)のいる家庭に限り、550ml入りのペットボトル計24万本(1人あたり3本)を配布することを決めた。

 同日夜、記者会見した都福祉保健局の桜山豊夫技監は「長期にわたらなければ健康への影響はないが、念のため乳児の飲料は控えていただきたい。ペットボトルの確保に困難な家庭もあるので、緊急の対応を取り決めた」と話した。

 検出されたのは、水道水1キログラムあたり210ベクレルで、1歳未満の乳児の暫定基準値(100ベクレル)超えていた。都は関係区市の乳児が飲むのを控えるよう要請していた。


とうとう水道水が汚染されてきた。ただ、これは氷山の一角であろう。とりあえず、政府はもう、被爆した前提で、安定ヨウ素剤を配るなど、根本の対策を打つべき、と思う。

今日、AERAを買った。「放射能が来る」という題名。悪評だが、中身はわりと整理されていると思う。基礎知識がない方はまずこれを読んでみるとよいだろう。

George Washington Carverの言葉
"99% of the failures come from people who have the habit of making excuses."
(失敗の99%は言い訳をする癖のある人たちから生み出される)

もう言い訳や後講釈はいいから、当局はどんどん先手を打つべきだ。

2011年3月22日火曜日

Lost time is gone forever

Samuel Smilesの言葉・・・

Lost wealth may be replaced by industry, lost knowledge by study, lost health by temperance or medicine, but lost time is gone forever.(失った富は勤労によって、失った知識は勉学によって、失った健康は節制や医薬によって取り戻せるが、失った時間は永久に取り戻せない)

震災の影響で失ったものは大きいが、我々の努力次第で、また手にすることは可能。だが、時間を浪費してしまえば、永久にそれをまた手にすることはできない・・。

3/11以降、心にぽっかり穴があいた感じがするのは自分だけではないと思うが、貴重なこの時期に生きていることに感謝するとともに、この言葉をかみしめて、一秒一秒大切に使っていこうと思う。

以下、Wikipediaからの引用
サミュエル・スマイルズSamuel Smiles, 1812年12月23日 - 1904年4月16日)は、英国作家医者スコットランド・ハディントン生まれ。
はじめエディンバラで医者を開業したが、のち著述に専念するようになった。1858年にジョン・マレー社から出版された「自助論」は、明治維新直後に中村正直の翻訳により『西国立志編』として日本に紹介され、福澤諭吉の『學問ノスヽメ』と並んで日本の近代化を志す青年たちを中心に広く親しまれ、その思想は近代日本の基礎を作る上で大きな影響を与えた。
現在では、代表作を含めた著作は三笠書房の知的生きかた文庫から竹内均訳が刊行されており、祖国イギリスをはじめ、全世界で色あせることなく読み継がれている。
自助論の序文にそえられた「天は自ら助くる者を助く」という一文は有名である。

2011年3月21日月曜日

京浜急行線

昨日、横須賀の親戚に行ったが、あいにく昨今のガソリン問題があったので、電車を乗り継いでいった。横須賀方面まで電車で行ったのは、もう15年ぶりくらいになるだろうか。

いくつか乗った路線で最も久しぶりに乗ったのは、京浜急行(京急)だ。それにしても何かと良く変わる路線だな、と思った。昨日駅での待ち合わせ時間があったので、路線案内盤を見ていて、気がついた点は下記の通り。
http://www.keikyu-ensen.com/train/kakueki.jsp

駅名の変化:
京急安浦→県立大学。安浦はかつて幼いころ少し住んでいたことがある。それだけに気になる駅であったので、降りてみた。その昔、かつて、旦那衆が遊ぶ所が集まっていたと聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが。ずいぶんとアカデミックな駅名にしたものだ。東急の都立大学の神奈川版か・・・ちょっと無理があるかな。それと、ここで詳しいことには触れないが、昔の駅の構造を知っている者からすれば、今の構造を見て、えー??という部分があった。ちなみに駅名はここだけでなく、今の能見台はかつて、谷津坂という名前だったし、YRP野比も野比だった。まあ、駅名などは最近JR(たとえば群馬の吾妻線の駅名の変え方などは好きだ)
も積極的に変えるので珍しくはないが。

通過駅の変化:
快速特急が停まるようになったのは、京急蒲田、金沢八景。これらは、接続線がメジャーになったので、わからなくもない。
特急はどうやら変化はない模様。
そして急行。こちらはずいぶんと変わったと思う。自分の記憶では、かつて、生麦、子安、黄金町には停車したと思う。逆に、停まるところが増えた。仲木戸、井土ヶ谷、弘明寺、杉田、能見台。ここで、おや?と思った。京急富岡に各駅しか停まらない・・。この駅は、学生時代毎日のように使っていた駅だが、確か、急行が停まったのではなかったか・・。それとも自分がモウロクしたのか・・。それにして日進月歩の世の中だ。

自分がかようにこだわるにはわけがある。自分は小学生の頃、熱狂的なテッチャンであった。三崎口から泉岳寺までの駅名はもちろんソラで言えたし、音響効果も再現するという妙な特技があった。特に、多摩川鉄橋をこえる時の音の再現はよく大人の笑いを誘ったものだ。・・・・・・そうしたばかげたことを思い出した電車の旅であった。これも今回の震災の思わぬ副産物である。

2011年3月20日日曜日

サクラガサイタ

今日、横須賀市にある親戚の家に行ったら、御近所さんの庭にある桜が見事に咲いていた。

震災に心を奪われていたが、来週25日頃の開花予想が出ていたことを思い出した。

2011年3月19日土曜日

マーフィーの法則

今回の震災で思い出したものにマーフィーの法則がある。なぜ思い出したかかというと、ちょうど、阪神淡路地震の確か少し前にこの法則が流行語になったことがあるからだ。

クライアントのところに訪問すべく、駅にいったが、当初予定の電車に乗り遅れて次の電車に乗って、目的の駅までついたが、いつもは簡単に捕まるタクシーがなかなか来ない、来たと思って乗ってみると道を間違える、遅れてついて、ミーティングを始めると、肝心な資料の忘れ物をしていることことに気づく・・・という具合に、何か悪いことが起きると、立て続けに、また、連鎖的に起きるものだ・・・自分はマーフィーの法則をこんな感じで整理していた。

Wikipediaによると"Everything that can possibly go wrong will go wrong."「不都合を生じる可能性があるものは、いずれ必ず不都合を生じる」という種類の「経験則」で、アメリカ空軍が起こりといわれるとのことだ。連鎖的に見えるハプニングは、実は、各々がそれ自身、そのような事態になる必然性がそもそもあった、ということらしい。

考えてみると、今回の地震とそれに続く、大災害もまさにこうしたことが言えるだろう。三陸沖地震は津波とセットで昔から警告が盛んにされてきたと自分は理解している。現に、生島ヒロシの出身の気仙沼では、「地震!津波に注意」という古ぼけた看板が道路脇にたてられていた。(http://www.youtube.com/watch?v=RPTAo6cbd3E&feature=relatedにも該当画像あり)今回の悲劇は昔から想定はされていた。防波堤も昔のチリ地震に伴う津波の教訓を受けて、高めに作られたが、軽々とそれを津波が乗り越えてきたのは御周知の通り。そして、福島原発も同様だ。想定をはるかに超える高さの津波が来て、屋外にある非常用ディーゼル発電機がすべて止まってしまったと聞く。いずれも見通しの甘さに起因するのは明らかだ。まさに"Everything that can possibly go wrong "であった。こうして見ていくと、今回の一連の災害は、自然災害という側面はもちろん大きいが、実は、人災でもあったのだな、と思う。やはり、この国は残念ながら、平和ボケしている、と言わざるを得ない。「なんて脇に甘い国なんだ、日本は」とさぞ、思っていることだろう。海外から賛美の声があるとかいう報道があるが、それはほんの一面しか日本のメディアがとらえていないと確信する。

そして、今回版マーフィーの法則にはおまけがついている。それは、みずほ銀行のシステムトラブルだ。3行が合併した直後、同様のトラブルがあったが、よりによって、この非常事態時にまたしても、だ。結局、"Everything that can possibly go wrong "という状況は全く変わってなかったわけだ。決済は銀行の心臓部。これをまともに制御できないところは、もはや公共インフラを担う資格などはないと思う。乱暴な意見ではあるが、残りのメガのどちらかと一緒になったほうがよいのではないか。



ところで、今日、たまたま、とある駅の近くにある、みずほ銀行のATMの近くを通りがかった。昨今の節電運動のさなかにあり、当然、シャッターがしまっているのかと思ったら、普通にやっていた。「あれ、治ったのか?」と思って入ってみると、自動ドアは開き、ATMも電源が入っていた。ところが実態は写真の通りである。節電など、どこ吹く風という感じ。あまりのKYぶりに本当に呆れてしまった今日であった。

2011年3月18日金曜日

だいぶ落ち着いてきた

今日あたりから町はだいぶ落ち着いてきたように思う。外為市場でもG7協調介入が認められドル・円相場がもとの水準に戻ってきたし、株式市場、債券市場もだいぶ落ち着いてきた。

今日、約1週間ぶりにクライアントを訪問、プレゼンをした。1週間もプレゼンをしないと、だいぶ口が鈍る。西洋の偉人が確かこんな感じのことを言った。「1日ピアノの練習をさぼると演奏して自分がその違いに気づく、2日さぼると友人が気づく、3日さぼると聴衆だれもが気づく」。意図してさぼったわけではないものの、今日のプレゼンは自分自身で違いに気づくのに十分だった。それなりにクライアントは満足したところはあったようではあるが、自分として非常に後味は悪く、オフィスに帰ってからもしばらく腕組みして黙想せざるをえなかった。大いに反省。

こうしている間にも福島原発では、自衛隊の方々などが最悪の事態を回避できるようにと、懸命の放水活動をしてくれている。東電の不手際と言ってしまえばそれまでなのだろうが、首都圏に住んでいる我々からすれば、ただ事ではない。この場を借りて、心から言いたい。

現場で我々のために戦ってくれている皆様、本当にありがとう!

2011年3月17日木曜日

あわてる乞食はもらいが少ない

こういう有事の事態になると、大昔の人々が考えたことわざに妙にうなずいてしまう局面が多くなることに最近気づいた。
今日も普通に会社に行って、明日のクライアントへのプレゼン資料を黙々と作成していたのだが、夕方になり突然、今晩停電がありそうなので、早めの帰宅を推奨する社内メールが来た。これを見てあわてて、遠方から通勤している人たちがそそくさと家路に就いた。ちょうどそのとき外出から貴社した同僚に聞くと、「丸の内線・東京駅は大混雑」と言っていた。たぶん写真(今日の夕方の渋谷駅。日経提供)のようなイメージなのだろう。

それを聞いた瞬間、とっさに、件のことわざを思い出した。まあ、地震があるわけでもないし、最悪、暖かいオフィスに泊ればいいな、と。結局、そのことわざにかけてみることにして、明日のための作業を再開した。
ちょうど21時ころになって、ひと段落ついたので、そろそろかな?と思い、丸の内線・東京駅に行ったら、何と、上下線ともガラガラだった。小躍りしながら、池袋行きに乗って、席に贅沢に座ったら、次の大手町駅で、対面に座っていた女性の携帯電話から変な音が・・。間もなく、場内アナウンスが流れるとともに、電車がぐらぐらと揺れ始めた。今日も家まで歩きかな、と覚悟した矢先、約1分後に運転再開し、無事に目的地まで着くことができた。
途中ハプニングはあったが、結果オーライ。混雑でイライラすることもなく、そこそこ快適に帰宅した今日であった。やはり昔の人は正しかった!
明日もよいことがありますように。原発のほうも、早く解決できますように。アーメン。

2011年3月16日水曜日

放射能騒ぎと物不足

海外メディアでは、日本人はweary but resolue(疲れ果ててはいるが毅然としている)などと称賛しているようである。確かに、略奪のようなもの今のところ起きてはなさそうだ。が、原発事故騒ぎと小売店の陳列棚に関しては、本当かな?という感じがしている。
今日、会社の同僚が、「昨日、妻と子供を実家の四国に帰した」と言っていた。水面下で、ひそかに、西日本方面への「疎開」がおきている可能性がある。ある外資系の会社も、「当分、大阪にオフィスを移せ」との指示が本部から来たと聞く。派手に表沙汰になっていないだけで、静かに、脱出が進んでいるような気がする。また、海外から来ているexpatsと呼ばれる駐在員も早く本国もしくは日本以外の国へ脱出するよう、指示がきているらしい。
マスク着用もここにきて増え始めた。それも、花粉症用とは思えない、少しごっついマスクをしている人が。今日、帰宅して、池上先生の原発事故解説番組をTVで見ていたら、マスクをしていたほうがよいことが示唆されていた。たぶん、こうしたことが影響しているのだろう。もはや、自分としては、周りの人と同じなら、被爆してもしゃーないな、という、聊か投げやりにも似た気持ちを持ち始めている。だって、どうしようもないもの・・・。
そして、物不足。帰りに家の近くのコンビニに寄ったが、例によって、物がなかった。パンは全くなく、カップめんも少しはあったが、ほとんど品切れに近い状態。ただ、おにぎり、弁当が多少あったのを見て、少し安心した。やはり、「見せ玉」は重要だな、と思う。パニックも結局、防衛心理によって起きるのだから、要はそれを取り除いてやればいいわけだ。加えて、買いだめする人が、恥ずかしいという思いをする仕掛けを作ることも有効だろう。恥をかいてまで、買いだめしようという日本人はそれほどいないと思う。
明日は、無事にコンビニで朝食のパンが調達できるか。。。会社の近くであれば、たぶん大丈夫かな・・・・こう思いつつ、今夜は寝るしかない。

2011年3月15日火曜日

なんとも宙ぶらりん

今日は普通に勤務先の会社に行った。さすがに行きの丸の内線は混んではいたが、同僚がいう殺人的混雑ではない。帰宅してTVを見たり、夕刊を見ていると、行列を作って大変なことになっているのにあらためて驚く。
職場では福島原発の危機について報道しているが、今となっては何もなすすべがない。地球裏側にでも脱出しない限り、放射能リスクから逃れることはできないのでは、と思う。たとえ、東京が複写間から離れていても、食糧などを通じて人体が被爆するのだから・・。
それよりも今のリスクから逃れられないという前提で今日から考えるようにしている。放射能被害にあっても、それを「中和」する薬品がないか、とか、原発なくても電力需給がマッチする節電関係のシステム・インフラ作りなど。
昨日のメルトダウン危機は自分にとっては、原子力立国であるというささやかな自信への裏切りであると同時に、大きなパラダイム転換であった。。。祖先が味わった1945年の終戦直後のように。
なんとも宙ぶらりんな社会情勢だが、とにかく前を向いて歩いていきたいと思う今日であった。

2011年3月14日月曜日

会社の帰宅命令が・・

今朝、運転本数が少なくなった丸の内線で、東京駅の近くのオフィスに行った。今日は、顧客訪問が朝から2件予定されていたが、状況が状況だけにキャンセルを余議なくされた。
そうこうしていたら、会社から「何もなければ帰宅してよし」の指示が出たが、無視して仕事してたら、帰宅命令&自宅待機指示が出た。というわけで、午後は自宅でおとなしくしている。
あ、今も、地震速報が来た、と思ったら揺れた。地震速報の精度にもだいぶ慣れてきた。が、現実問題として、速報からの揺れがこんなに早く来るようでは、あまり意味ないな、と思う。ショックを和らげるぐらいの効果しか期待できないのでは。
この後、計画停電とやらが場所によっては、実施されるとのことだが、やるのかやらないのかイマイチはっきりしない。東電も完全にパニックしている感じだし・・・。
今回の地震はさまざまな教訓を私たちにもたらしている。

2011年3月13日日曜日

物がなくなってきたぞ

今日は、電車が動いていたので、金曜日にできなかった仕事の埋め合わせに、と会社に行った。帰りにいつも寄っているスーパーに行ったら、物がない。パン、野菜、ヨーグルト、納豆・・といつも買うものがなく、梅干しだけを買って帰ってきた。

その近くのドラッグストアに行ったら、トイレットペーパーが売り切れに。そういえば、トイレットペーパーが昨日は飛ぶように売れていたな。

パニックに陥らないよう、店側でも1名様○個限り、といった供給制限がそろそろ必要なのではなかろうか。

2011年3月12日土曜日

初めてのブログ

昨日の歴史的地震で、今日の予定はすべてキャンセル。家でTVを見ながらじっとしています。手持無沙汰なので、この機会に生まれて初めてブログ作成に挑戦することにしました。