2011年3月21日月曜日

京浜急行線

昨日、横須賀の親戚に行ったが、あいにく昨今のガソリン問題があったので、電車を乗り継いでいった。横須賀方面まで電車で行ったのは、もう15年ぶりくらいになるだろうか。

いくつか乗った路線で最も久しぶりに乗ったのは、京浜急行(京急)だ。それにしても何かと良く変わる路線だな、と思った。昨日駅での待ち合わせ時間があったので、路線案内盤を見ていて、気がついた点は下記の通り。
http://www.keikyu-ensen.com/train/kakueki.jsp

駅名の変化:
京急安浦→県立大学。安浦はかつて幼いころ少し住んでいたことがある。それだけに気になる駅であったので、降りてみた。その昔、かつて、旦那衆が遊ぶ所が集まっていたと聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが。ずいぶんとアカデミックな駅名にしたものだ。東急の都立大学の神奈川版か・・・ちょっと無理があるかな。それと、ここで詳しいことには触れないが、昔の駅の構造を知っている者からすれば、今の構造を見て、えー??という部分があった。ちなみに駅名はここだけでなく、今の能見台はかつて、谷津坂という名前だったし、YRP野比も野比だった。まあ、駅名などは最近JR(たとえば群馬の吾妻線の駅名の変え方などは好きだ)
も積極的に変えるので珍しくはないが。

通過駅の変化:
快速特急が停まるようになったのは、京急蒲田、金沢八景。これらは、接続線がメジャーになったので、わからなくもない。
特急はどうやら変化はない模様。
そして急行。こちらはずいぶんと変わったと思う。自分の記憶では、かつて、生麦、子安、黄金町には停車したと思う。逆に、停まるところが増えた。仲木戸、井土ヶ谷、弘明寺、杉田、能見台。ここで、おや?と思った。京急富岡に各駅しか停まらない・・。この駅は、学生時代毎日のように使っていた駅だが、確か、急行が停まったのではなかったか・・。それとも自分がモウロクしたのか・・。それにして日進月歩の世の中だ。

自分がかようにこだわるにはわけがある。自分は小学生の頃、熱狂的なテッチャンであった。三崎口から泉岳寺までの駅名はもちろんソラで言えたし、音響効果も再現するという妙な特技があった。特に、多摩川鉄橋をこえる時の音の再現はよく大人の笑いを誘ったものだ。・・・・・・そうしたばかげたことを思い出した電車の旅であった。これも今回の震災の思わぬ副産物である。

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